厨二病の頃を振り返って

たまーに何かを書いてみたくなります。

ただ、なかなか最後まで書き上げる事ができないのでちょいと原点に帰ってみる事にしました。なんで書きたくなるのか?書くっていうのはいったい何か?そのあたりを確認できれば何か変わってくるかもしれないなぁと、以下にだらだらと自分を振り返りながら書いてみたらそんな事に思い当たりました。

 

日記猿人という日記サイトのリンク集がありました。
インターネットが普及しはじめた頃のリンク集です。ほとんどの人がホームページビルダーといったツールかメモ帳なんかのテキストエディタを使ってHTMLを直接記述してサイトを作っている頃で私にとっては古き良き時代です。

 

サイトというと自分の趣味についてあれこれうんちくを語るだけのものがほとんどでした。
メールアドレスを公開して直接メールでやりとりしたり、BBSを設置してそれに感想や意見を書いたりなんて事をやっていました。すると、同じ趣味をもつ人間が少しづつ集まってきて盛り上がってくればリアルで会うオフ会を開催するなんて事も実際に起こったりします。インターネットを使えば同じ趣味をもつ人たちがその趣味について語り合う事ができる場を作る事ができたわけです。

 

私は最初、競馬と釣りに関するサイトを作っていました。
それらが結構盛り上がって何回かオフ会の開催があって、どちらも関東にまで遠征なんてのもやっていましたね。で、そういうのが落ち着いた頃に私は文を書く事をやってみたいと考えはじめるようになりました。まぁ、サイトは文章がメインで作りますから、書いていたことはいたのですが、エッセイとしてというか、ユーモアだったり皮肉だったりをテキストだけで表現してみたくなってきたのです。

 

余談だけど、こういう感覚を経験しているとエヴァンゲリオンの会議でぜーレの連中が「Sound Only」で会議しているのをみて、

 

「奴らは俺だな。」

 

なんてにやけてしまいます。

まぁ、私の場合はテキストオンリーでしたけどね。今になって気が付きますが、顔を隠して何かを主張している連中への共感というのは半端ないものがあったりします。

 

大学は工学部、いわゆる理系でしたけど文を書くという事には元々興味があったのです。

 

「小説書いて本を出せたらいいなぁ。」

 

と漠然とは考えていましたしね。
大学の頃には銀河英雄伝説みたいなスペースオペラを書いてみたいと設定や背景をノートにまとめた事もあります。

 

確か、帝国となにか別の勢力がが宇宙戦争する話で、帝国には3人の優れた武官がいて、金の剣、銀の剣、あと1人のニックネームは忘れてしまいましたがたぶん闇とか黒とかいう感じで謀略を得手としている設定だったように思います。考えた登場人物だけで30人は超えてたのじゃないでしょうかね。図書館で人名辞典から、名前をひっぱりだしてちゃんと全員に名前もつけていました。

 

ノートに書いてましたが確か50ページはあったんじゃないかなぁと思います。
どうも、こういうのって小説を書いてみたいと思った事のある人の一部は必ず通る道みたいですね。後々、いろんな書き手に合うのですが何人かは似たような経験があるみたいでした。村上春樹ファンで文学を志しているような連中とは対極の存在です。

 

当時だとほぼすべての人が、スレイヤーズをはじめとするファンタジー物、戦記ものだったら田中芳樹の影響を受けていると思っていいんじゃないでしょうか。私自身もその流れに傾倒して、つづいて吉岡平秋田禎信といったライトノベルばかり読んでいましたね。

 

それで「Playing Diary」というサイトを作り始めました。
大学卒業後、就職して3年たって仕事を辞めようという決心をした頃だから25歳の時です。仕事を辞めることについて書いた物をあげたら、驚いた知人から電話がかかってきましたから時期がはっきりと特定できます。

 

サイトを作ったらリンク集へ登録するというのが当時の私の感覚でした。
それで見つけたのが最初に紹介した日記猿人という日記のリンク集だったわけです。日記についての検索エンジンというわけで日記猿人です。その後、ブログが登場して日記サイトが一気に衰退していく流れの中で名称を日記才人に変えたりしていましたけど、調べてみたら2007年に終了したそうです。

 

今でも記憶に残っているのは、あるサラリーマンの愚痴を綴っただけの日記です。
その日記主には、好意を寄せる女性の同僚がいたのですけど、ある飲み会の時にその女性が同僚の別の男性とホテルへ行ってしまったのです。で、それで付き合い始めるというのならおさまりがついたのでしょうけど、どうもそうはなっていないのです。気が気でない日記主は、男性の方にどうしてだと聞くと、

 

「1回やってみたけどどうもそういう気になれない。」

 

なんて返事が返ってきました。
女性の方もどうも似たような気持ちで、お互いに一夜の気の迷いということにしましょうと、そんな暗黙の了解ができあがっていたわけです。で、それが悔しくて悔しくて仕方なかったようで、

 

「その気の迷いの相手がなんで俺ではないのだ。」

 

という事を延々と三日もかけて綴っていて、こいつモテない奴だろうなぁなんて思いながら読んでましたね。

 

ただ、こういう具合に素で日記をかいて面白い人はどちらかというと稀でした。
ほとんどの日記サイトは、日々の出来事やイベントを面白おかしく書いていました。言葉や文字で遊ぶのが巧みな人たちばかりで私もその輪の中にはいりたいと素直に思えたものです。たぶんですけど、平安時代に和歌で遊んでいた人たちや、明治から昭和にかけてサークルを作って本を発行していた文豪たちはきっとこういう感覚だったんじゃないかなぁと思えますね。

 

こういう感覚の私にとって文を書くとは

 

「読んだ人をニヤリとさせたい。」
「読んだ人にクスリと笑ってもらいたい。」
「読んだ人にちょっといい気分になってもらいたい。」
「読んだ人に、おいっ!っと突っ込みをいれてもらいたい。」

 

という事だったりします。
そして、並べてみると気がつきますけど、私は読んだ人の反応が見たくて文を書くみたいですね。

 

そしてここまで書いてやっと気がつきます。
どうも私はずっとモヤモヤしていたようです。何にもやもやしていたかというと、

 

「読みたいと思えるブログが見つけられない。」

 

という事です。
たまに読みたいという衝動がでてくるので、はてな、note、ランキングなんかで、面白い記事はないかなぁなんて探すのですが皆無といっていいほど見つけることができません。ランキングに表示されている記事はすべて、

 

「情報を発信する事で利益を得よう。」
「頭のいい俺様が世間の事をわかりやすく解説してやろう。」

 

というものばかりです。
そんなものを読んでも私はニヤリともクスリともできません。ブログが広まり始めた頃はこんな状況じゃなかったのですけどね。初代ブログ女王なんて言われてた眞鍋かをりの記事、

 

「ソーセージを電子レンジで温めるのだけど、ソーセージが破裂する直前のタイミングで電子レンジの扉をあけるですがたまに失敗する眞鍋かをりです。」

 

なんていう書き出しではじまるのは更新がとまる2つだったか3つだったか前の記事でしたかね。もう15年ほど前の記事だと思いますけど、私がクスリとした記事だからちゃんと記憶に残っています。この頃は、読んで面白いものが大半で、年月が過ぎてアーカイブから消えてしまってもどこかにちゃんと残っているのじゃないでしょうか。今は探しても探しても残ると思えるものが見つけられないわけです。

 

私は今でも熱心に文を書いていたります。
大半というかほぼすべて仕事に絡む内容なのでこっちのアカウントじゃとてもじゃないけどさらすわけにいかない内容です。でも、そんなものばかり書いていると、たまーに他愛もないくだらない、読んだらクスリと笑ってもらえるようなものを書きたくなるようです。

 

なるほどなぁと、私はそういう思いであちこちのブログサービスに申し込んで駄文を書いては消しを繰り返していたようです。