冴えない彼女の育て方Fineの感想

映画なんてみるとついつい気取った感想を言ってみたくなるのですけど、

「すごいよかった!」

それ以外の言葉は私の頭の中からは浮かんできませんでした。

物書きのはしくれである私なんかは、これほど複雑な構成をきっちり仕上げてしまう才能に嫉妬すら覚えます。この感想は1~2期を見ている事を前提に書くことにしました。冴えカノは奥行きがありすぎて、いちいち細かいことを書いていくと文庫本1冊分ぐらいの文章量になりそうです。


この冴えない彼女の育て方Fineは大きく3つのストーリーで構成されています。

メインストーリーは当然、主人公安芸倫也とヒロイン加藤恵の恋の行方です。
主に加藤恵の視点で描かれるので恵のヒロインとしての成長要素もここに含めてしまっていいでしょう。タイトルが冴えない彼女の育て方ですしね。ただ、アニメの1~2期を見ていると、霞ヶ丘詩羽の先輩ルートもあるのじゃないかと、そんな事もつい思ってしまっていました。失恋することでヒロインとして成長してくみたいな話だって成立するかなぁと。

英梨々に関しては2期で安芸倫也がパートナーでの成長の限界点を迎えていました。だから、こちらの幼なじみルートはないというのははっきりしていましたかね。

サブストーリーとして最も大切なのは、霞ヶ丘詩羽と澤村・スペンサー・英梨々の成長のストーリーでしょう。2期でクリエイターとしてのさらなる成長の可能性を見いだした2人は安芸倫也の元を去っていきました。

そういや冒頭で、霞ヶ丘詩羽が、かなりきつめのメタ発言をしていて、

「冒頭でもう崩壊がはじまったか・・・。」

なんて思ったわけですが、オタクたちはこの状況をすでに分析把握していて予測までたてているわけで、それを見越しての詩羽からの先制パンチだったという事でしょう。

話を戻します。

詩羽と英梨々がブレッシングソフトウェアを去る流れは、2人がクリエイターであり、安芸倫也がそのファンであるという関係を明確に表現しているといえます。クリエイターを成長させるのはファンであり、クリエイターはファンを愛するのです。

でも、そのクリエイターの愛は恋とは違います。
クリエイターは壁を越えてさらに成長したいと思ったときにはファンを置いていかなくてはなりません。アニメ2期で英梨々はスランプに苦しんでいましたが、ファンである倫也では助けにはなる事はできませんでした。

SNSなんかをみていると

「○○は、昔の作品の方がよかった。」

という誰かのファンの声を聞くことなど日常茶飯事です。
現在の英梨々の大ファンである倫也では、成長して変化していく澤村・スペンサー・英梨々の新しい創作が見えるわけがありませんから当然です。ブレッシングソフトウェアでの倫也のディレクションは、詩羽と英梨々の科学反応を起こす事を意図したものであったわけですが、その反応で英梨々にはさらに遠くの景色が見えてしまいました。

結末での詩羽が英梨々に語った、

私たちは先へいって彼が追いかけてきてくれるのを待ちましょう。

というセリフが本当に印象的です。
倫也はずっと私たちのファンでいてくれてて、追いかけてきてくれるから成長をつづけようという詩羽のクリエイターとしての決意表明でしょう。彼女たち2人は女性ではなくクリエイターでありつづけることを選択したというわけです。エピローグでも彼氏がいる気配がなかったのは生粋のクリエイターであり続けていたという事でしょう。

2つ目のサブシナリオは、安芸倫也の成長です。
シナリオライターとしての安芸倫也ディレクターとしての安芸倫也、そして男性としての安芸倫也彼は3つの側面をもつ人物として描かれています。そして倫也が創作でつまずく様子を見せることで、ファンとクリエイターの立ち位置の違いを明確に見る側に示していました。

シナリオに行き詰まった倫也に紅坂朱音が言った、

「もっと気持ち悪く書け!」

というアドバイスは最高でしたね。
そのアドバイスを受けて倫也が書いたシナリオを読んだときの加藤恵の感想の

「恥ずかしくて見ていられない。」

というのがさらによかった。
このセリフ、実は映画をみている私たちの心境を加藤恵に代弁させたものです。

「恥ずかしくて見てられないのだけど、でも目をそらすことができなくて見入ってしまう。」

映画を見ている人たちは皆そういう心境だったことでしょう。
映画をみている自分の気持ちを役者にいわせる。つまり紅坂朱音や加藤恵のセリフで代弁してくれるのですが、これって非常に高度なテクニックです。それは見ていてばわかってしまうのだけど、これだけ巧妙にしかけられてしまうと、わかっていても逃げられない、もうスクリーンからは目を離せなくなります。先に述べた詩羽のメタ発言なんかもこれと同様ですね。

紅坂朱音の体調不良でディレクターとしての安芸倫也が登場しました。
本来、このディレクターとしての立ち位置は倫也と恵の関係だけを考えていると不要なものだったと思われます。しかし、詩羽と英梨々のストーリーに結末を迎えるためには必要だったのでしょう。クリエイター、ファンの関係だけでなく、ディレクターという立ち位置を加えることで冴えカノは物語に奥行きをもたせてきたわけで、結末に向けて一気に加速したいタイミングにもかかわらずあえての寄り道だったといえそうです。

詩羽は、倫也をディレクターとして迎える事で恵ルート突入のフラグが成立してしまうといっていました。
確かにそのとおりだけど、私はちょっと表現が違うかなぁと感じました。クリエイターとしての詩羽のプライドが恵から倫也を奪ってしまう事を許さなかったのじゃないかとそんな風に思えます。自らの創作のためには厭う物などなにもないという姿勢、倫也への恋する気持ちよりファンに対する愛情の方が勝ったということでしょうかね。まぁ、確かに、この件で恵は自分の気持ちを素直に表にだせるようになったのですけどね。


3つ目のストーリーはゲームのシナリオです。
安芸倫也加藤恵の2人の関係がゲームに落とし込まれていきます。シナリオをチェックする恵はそれがわかっているわけで、きっとゲームの主人公を倫也と重ねて見ていたことでしょう。最初、創造でしかなかったゲームのストーリーが、倫也と恵の2人の関係とだんだん近づいて最後には重なってしまいます。

ゲームの完成と、倫也と恵の関係は平行していて交わる事のないものだったはずです
ところが、物語の終盤に近づくにつれて倫也と恵のカップリングの成立とゲームの完成というゴールが同一地点になっていました。平行線がいつのまにか方向をかえて収束し、同一の地点を目指すようになるという非常におかしな事が起こっているのですが、そのことにまったく違和感を感じないのです。

一方で、倫也と詩羽、英梨々の関係は物語の当初、どこかで必ず交わってしまうものだという印象がありました。ところが、恵と倫也との関係とは真逆の平行線だったのです。クリエイターとファンという関係性がこういう形、寄り添いはするけど交わることのない関係として表現されているわけです。

そう考えると冴えカノには二つの大きなどんでん返しがあったわけです。
1つは、平行線だった倫也と恵の2人が交わってしまうというもの。もう1つはすぐにでも交わりそうだと見えた倫也と英梨々、詩羽の関係が平行線だったというもの。こんだけしっかりひっくり返してくれれば面白いに決まっているではないかと、そんな風に思いますね。

最初にストーリーは3つといいました。
でも、実は他にもサブのストーリーがいくつもあります。私はその中で特に注目したいのは波島伊織という存在です。彼はメインストーリーに絡む事がほとんどありませんでしたが、彼の存在なくしてはブレッシングソフトウェアが制作するゲームの完成はありえませんでした。ある意味、安芸倫也加藤恵の2人は彼の手の平で踊っているだけだったといっても過言ではないかもしれません。恵はそれがわかっていて、伊織の事を嫌っていたのかもしれませんね。

登場人物のすべてにはそのストーリーがある状態をキャラがたっているといっていいのでしょう。そう考えると、これほどキャラのたっている物語は他にそうはないでしょうね。無数のサブストーリー、それらがうまくメインストーリーに絡み合って、そのすべてに決着をつけて、そしてメインストーリーを完成させていました。

そんなすごいものを見たときには、

「すごいよかった!」

という陳腐な感想しか私にはでてこなかったというわけです。

 

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映画をみてはじめてひいた一番くじであたったのは霞ヶ丘詩羽の色紙でした。

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狙いは加藤恵のフィギュアだったからこれだって当たり!